大判例

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千葉地方裁判所 平成3年(ワ)274号 判決

原告

宮田俊輔(X1)

右法廷代理人親権者父

宮田良一

同母

宮田よし江

原告

宮田良一(X2)

宮田よし江(X3)

原告ら訴訟代理人弁護士

四宮啓

石川知明

長谷川康晴

高橋馨

被告

千葉県(Y)

右代表者知事

沼田武

右訴訟代理人弁護士

石川泰三

岡田暢雄

今西一男

滝田裕

新村淳一

右訴訟復代理人弁護士

佐々木文

山本正

右指定代理人

山口久男

阿部明

上原嗣男

伏見益昭

鈴木元樹

青菜博司

理由

三 そこで、原告らの右主張のような点に暇疵があったか否かを検討するに、前記のように、本件事故当時の村田川の構造がおおむね別紙(一)及び請求原因3(一)(1)のとおりであったことは当事者間に争いがない。また、小段が水面に対して垂直の構造であり、はしご等の設備がなかったこと、堤防天端上の道路と堤防法面の境には原告ら主張の構造のガードパイプが設置されていたこと、D点には原告ら主張の時期に設置された同主張の看板があったが本件事故現場側には看板がなかったこと、本件事故現場の南方に原告らが住んでいた県営菊間団地があったことも当事者間に争いがない。これらの事実と、〔証拠略〕によれば、次の事実を認定することができる。

1  村田川は、以前は、曲がりくねって川幅も狭く、汚濁した水の自然河川であったが、度々洪水による水害があったため、昭和二七年から同五二年度までの間、中小河川改修事業として、河口から本件事故現場を含む六キロメートルまでの間の改修工事が実施された。この改修事業は、用地買収等をして狭かった村田川の川幅を拡げ、コンクリート矢板施工の護岸とし、また堤防も整備し、部分的に法面にコンクリートを張ったものであり、その結果、現況とほぼ同じ河川構造が完成した。

2  さらに、村田川の上流に住宅都市整備公団による千原台団地をはじめとする各種の大規模な宅地の開発がなされるようになったのに伴い、村田川の計画高水量を二八〇立法メートル毎秒から四七〇立法メートル毎秒に改定する改修計画が策定され、住宅宅地関連公共施設整備促進事業として、国の認可を得て、昭和五三年度から、河口域から順次低水護岸工事が実施された。本件事故現場付近では昭和五五年ころに改修工事がなされたが、右工事は、当時護岸として存在したコンクリート矢板を鋼矢板に打ち換え、鋼矢板頭部をコンクリートで固定する工事であり、本件事故当時の護岸は当該工事によって形成された。

3  そして、右工事が上流部に達したのち、同じ事業計画に基づき、昭和五九年からは、河口付近より、本件浚渫工事が行なわれた。右浚渫工事は、法面下部及び小段に堆積した土砂を取り除き、河床を掘削する工事であったが、本件事故現場付近の浚渫工事は、昭和六三年九月から平成元年三月にかけて実施された。別紙(四)は右工事が実施される少し前の昭和六三年一月ころに浚渫の準備のためになされた調査の結果作成された本件事故現場あたりの横断面図であるが、村田川には第一次改修工事ののち長期間が経過したため右図面赤色着色部分のように河床や堤防下部に土砂が堆積しており、そのため、水量により状況は変化するものの、堤防法面から河床へは比較的なだらかに連続し、水深も岸辺から急に深くなるのではなく比較的なだらかに浅いところから深いところに続いていた。なお、右図面では水深は深いところでも数十センチメートルとされているが、本件事故現場は海に近く潮の干満の影響を受けるほか、下流六〇〇メートルほどの所に長妙寺堰があり季節により堰が閉められていたから、この水深は変動するものであった。

4  本件浚渫工事により、本件事故現場付近の村田川は、第一次改修工事により形成された状態に復元した。すなわち、本件事故現場付近の堤防は天端が幅員約四メートル弱の未舗装道路であり、下端に小段があるが、この間に基本的には二割勾配で傾斜している法面がある。そして、二割勾配は普通一般に用いられているものであった。もっとも、本件事故現場付近では、法面の右傾斜は実際には二割より多少緩やかであり、また、天端に接続する法面部分はさらに緩やかな傾斜面になっていた。また、法面は、天端から小段まで一面コンクリートブロックが張られている部分と、このような覆いがなく土のままの所に別れているが、本件事故現場付近で原告俊輔が下りた所と目される法面は、右の覆いのなされていない法面であり、本件事故当時の季節では、主に丈の短い枯草が一面に生えていた。

5  法面下端の前記小段は、本件事故現場付近では上面の平坦な幅員が約一・三メートルあり、そのうち水面側の約六〇センチメートルはコンクリート面で、その余は非舗装の地面になっていた。そして、小段水面側の側面は垂直で河床まで約二・二メートルあり、本件事故当時小段近くの水深は大人の首のあたりまであったから、小段上面から水面までは一メートル近くになり、小段にははしご等の設備はなかったから、幼児が川に転落した場合自力ではいあがることは不可能であった。

6  本件事故現場付近は人家が密集しているほどの所ではないが、南方には、棟数三〇棟を超える県営菊間団地がある。そして、本件事故現場付近の前記堤防からは、菊間団地の敷地は近いところでは一〇〇メートルほど隔てたところまで接近している。しかし、菊間団地やその周辺には公園があり、本件事故当時原告らが居住していた右団地一六号棟のすぐ近くにも、幼児用にぶらんこ、滑り台等の遊戯施設が置かれ、整備されていた公園があったから、菊間団地に住む幼児は、これらの公園や団地内の空き地を遊び場所にしていた。なお、別紙(五)表示のNo.34点付近には、ざりがに取りや水遊びをするのに格好の水溜まり的な池もあり、団地の子供たちもここで水遊びをしていた。

7  他方、村田川の本件事故現場付近は、本件浚渫工事以前から水質が悪化し、河床の土もきれいではなかったから、子供たちが水遊びをしたり水際が子供たちの遊び場所となっていたようなことはなかったが(原告よし江は子供たちが村田川に来て遊ぶことがあるとは思っていなかったし、実際にそのようなことには気付かなかった。前記救助者の鈴木純一は、本件事故現場のすぐ近くに住み、家族には子供もいたし毎日本件事故現場を通って職場に通っていたが、このあたりで子供が水遊びをしているのには気付かず、一口にいえばどぶ川で水遊びの場所には適しないと思っていた。)、それでも魚釣りに来る子供はあった。

8  前記D点付近の堤防天端には、「あぶない!ここであそばないで! 千葉県」と記載した看板が平成元年三月九日に設置されていたが、対岸の本件事故現場付近には、本件事故当時このような看板は設置されていなかった(本件事故後の平成二年三月二五日に、「あぶない!!ここであそんではいけません 千葉県」と記載し、河童が川で溺れている様子を描いた看板が設置された。)。また、天端の道路と法面の境には、別紙(一)表示の古市場橋のたもとから万右衛門橋に向かって約二四メートルの間にはガードレールが設置され、右ガードレールに続き本件事故現場上を含めて万右衛門橋までの約五七メートルの間は、Aタイプとも呼ばれるガードパイプが設置されていた。しかし、右ガードレール及びガードパイプは、堤防法面への立入りを阻止する目的で設置されたものではなく、主として路肩表示を目的とするものであった。そのため、ガードパイプの仕様は別紙(三)の1に表示のようなものであり、地上高も六〇ないし七〇センチメートル程度であったため、その構造上、幼児が堤防の法面に立ち入ることを物理的に阻止するには足りないものであった。

9  堤防天端部分に堅固な進入防止柵を設置すると緊急時における水防活動の支障となるため、河川管理の実情としては、堤防法面が特に急勾配であって法面下部に小段がないような場合のほかには設置されないようにされている。そして、本件で立証されている限りでは、千葉土木管理事務所所管の二級河川である都川及び葛南土木事務所所管の二級河川である海老川の各一部に堅固な進入防止構造が採用されているが、前者は堤防の勾配が〇・五割という急傾斜でかつ下部に小段がなく、後者は垂直な堤防である。

10  足立靖夫は、昭和四二年から前記長妙寺堰の管理の仕事をしているところ、小学校低学年及び高学年と思われる子供が法下のコンクリート護岸から水に落ちたがすぐにそこにいた大人に救助されたため大事に至らなかったことがあることを記憶している(但し、その時期は明らかでない。)。なお、原告らが指摘する本件事故後の死亡事故は、一件は酒に酔った大人が深夜水死した事故であってその原因は明らかでなく、他は中学生が川の中央付近まで行ったため深みにはまって溺れたものである。

四1 国家賠償法二条一項の営造物の設置または管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいい、その有無は、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を考慮して具体的、個別的に判断すべきものである。

2 ところで、前記三の認定によれば、村田川は、第一次及び第二次の改修工事の結果、流域に進行する開発状況に対応し、その治水の効用を高めるとともに、溢水や破堤の危険を格段に減少させたものであるが、その反面、最終段階で実施された本件浚渫工事の結果、堆積土砂により事実上もたらされていた堤防から水底への比較的なだらかな接続状況が変化し、堤防に立ち入った幼児が小段を踏み外した場合には、水中に転落してはいあがれないまま流される一般的危険性が高まったということができる。しかし、本件事故現場のこのような堤防の構造は、河川の右のような効用の維持のために普通に採用されているものであって、その構造自体に伴う右のような一般的危険性は、河川が宿命的に抱える水難事故発生の一般的危険性の範囲を超えるものとはいい難い。そして、本件浚渫工事は、このような本来の河川構造を復元させたものに過ぎないから、それ自体では、これによって村田川の危険性が通常の危険性を超えるものになったということもできない。

3 そこで、本件事故現場付近の環境及び右付近の村田川の利用状況の面から検討すると、原告らは、本件事故現場付近の村田川は付近の子供たちの格好の遊び場となっていたと主張している。しかし、前記認定によれば、子供の中には魚釣りに来る者はあったが、それ以上に幼児の格好の遊び場になっていたような状況を認定することはできず、むしろそのような場所はほかにあり、村田川はその水質、構造等に照して幼児の遊び場としてはほとんど利用されていなかったと認めざるをえない。そして、魚釣遊びをする子供たちは、原告俊輔より年齢が上で危険性に対処する能力も上回る子供たちであろう。もっとも、村田川からそれほど遠くないところに相当大規模な菊間団地があったのであるから、そこに住む幼児が保護者の付添のないまま村田川に来て堤防に入り込む可能性も考えられないことではなく、そのような幼児の転落事故を防止するためには、堤防天端の道路脇に堤防への堅固な進入阻止設備を置くことがもっとも確実な安全策ということができるであろう。しかし、そのような設備を設置することは緊急時の河川管理上問題があるため、本件事故現場程度の構造の堤防であれば設置しない実情にあったことは前記認定のとおりであるし、前記認定によれば、右現場の環境は、幼児が保護者の付添なしに堤防に入り込んで遊ぶことを具体的に予測しこれを阻止するために確実な進入防止設備を設げる必要があるほどの状況にあったとは認められないというべきである。したがって、右のように付添のない幼児の堤防への進入を確実に防止するための設備を欠いていたことは、未だ村田川の堤防の設置、管理に瑕疵があることにあたらないと認めるのが相当である。なお、原告らは、少なくとも原告ら主張のBタイプ程度のガードパイプを設置する必要があったと主張しているが、仮にBタイプ程度のものを設置していたとしても幼児の進入防止設備としてはAタイプとほとんど変りがないというべきであるところ、Aタイプの本件ガードパイプは、前記のような確実な進入防止設備とまではいえないが、これがあることにより危険性が表明されそれなりに物理的あるいは心理的に進入を困難にする効用はあると認めることができるのである。

4 原告らは、原告俊輔のほかにも村田川で溺れた例があることを問題としている。しかし、そのうち小学生の二例は、時期、場所が明らかでなく、少なくともすぐに助け上げる大人が近くにいたのであるから、原告俊輔の場合とは異なる事案である。また、死亡事故は、一件は酔った大人の事故であり、原因がはっきりしないし、他の一例は、中学生が村田川の中央まで行き深みにはまった事故であり、これらも本件で問題とすべき瑕疵の有無の判断に直接影響を及ぼすものとはいえない。

5 また、原告らは、本件浚渫工事により村田川の状況が変化したことを看板等で十分に周知させなかった点で瑕疵があると主張しているが、前記D点には看板があったのであり、前記認定によれば、本件事故現場付近の環境等に照して右現場付近に同様の看板を設置しなければ通常の安全性を欠くことになるとは認め難いというのが相当である。

五 以上によれば、本件事故現場の村田川について、その構造、用法、場所的環境及び利用状況等の諸般の事情を勘案して判断したときは、いずれの観点からも、河川として通常有すべき安全性を欠いていたものとは認められないといわざるを得ないから、その設置、管理に瑕疵があったということはできない。したがって、原告らの本件請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

よって、原告らの右請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加藤英継 裁判官 中村俊夫 片岡武)

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